新しい医療のかたち
2015年11月23日  医療の質・安全学会:「新しい医療のかたち」
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スピーチ原稿>

認知症になってから、希望と尊厳をもってよりよく生きていける社会を一緒に創る
~認知症になった私たちからの提案と活動~

日本認知症ワーキンググループの共同代表の佐藤雅彦です。
わたしは1954年生まれ、現在61歳です。元、数学の教師やシステムエンジニアをしていました。

今から10年前の2005年、51歳の時、アルツハイマー型認知症と診断されました。
当時わたしは会社づとめをしていましたが、会議録が書けなくなったり、配達先で迷うなど、おかしなことが重なり疲れ切っていました。

なんとかしたいと思い、精神科を受診し検査をうけたところ、医師からいきなり「あなたはアルツハイマー病です。脳が萎縮している」と言われました。

頭が真っ白になりました。
詳しい説明も、話しあいもなく、「これからどうなっていくのか、自分がどうしたらいいのか」、一気に不安と恐怖に突き落とされました。

すぐに書店や図書館でアルツハイマー病の本をあさり、必死で調べました。
しかし、医療や介護の本ばかりで、本人のための本はありませんでした。

調べれば調べるほど、悪い情報ばかりで、自分は何もわからなくなると絶望してしまいました。
よく眠れず、混乱し、食べられなくなり、寝込んでしまいました。
診断を受けてからこの10年間で最悪だったのが、この診断後の時期でした。

自分はどうなっていってしまうのか、悩みに悩んだ末、認知症があっても自分は自分であることに変わりはない、と気づきました。
このままではいけない、と思いなおし、少しずつ家の外にでるようになしました。
何か手がかりがないか、情報を集めては家族会や様々な集まりに出かけていきました。

わたしは幸い、いろいろな人に出会うことができました。介護サービスについて教えてくれる人、話しを聞いてくれる人、自分なりの楽しみ、たとえばコンサートを聴きにいったり、公園の散歩につきあってくれる人などです。

それまで使っていなかった携帯電話の使い方を教えてくれる人にも出会えました。携帯電話で写真をとって人に送ることもできるようになり、認知症になってからも新しいことが覚えられる、まだまだ楽しめる、と少しずつ自信を取り戻していきました。

忘れてしまうので日々起きた失敗などをパソコンに記録していましたが、できなくなったことばかりを書くと落ち込んでしまうことに気づきました。
できなくなったことを嘆いているより、自分がまだできることを大事にしようと方針をかえてから、楽になりました。

2007年ごろから、わたしの体験を話してほしいと声がかかるようになり、介護の職員さんやお医者さん、一般の人など、たくさんの人の前で話すようになりました。

話を聞いた人たちから、
「認知症の人が話せるとは思わなかった」、
「こんなに悩んだり、考えてることをはじめて知った」
「認知症になっても、出来ることがあることを知って驚いた」
といった感想が多く聞かれました。
認知症になった本人の真実があまりにも知られていない、一般の人たち、そして医療や介護の専門職の人たちの偏見があまりにも強いと、あらためて驚きました。
偏見が、本人を蝕み、本人が生きていく力を奪っています、偏見をなんとかなくしたい、認知症になっても暮らしやすい社会にしたい、と強く思うようになりました。

各地に出かけているうちに、私と同じように認知症になって苦しみながらも、前向きに暮らそうとしている仲間に出会うことができました。
自分と同じように認知症の診断を受け、薬などで治療はされていても、絶望して苦しんでいる人にたくさん出会いました。
今の医療や介護サービスでは、日々の不安や不自由を支えてもらえない、周囲の偏見で傷つき具合が悪くなる、といった共通の悩みを抱えている人もたくさんいました。
それらの仲間と話しあいを重ねるうちに、自分たちが声をあげないと認知症になってからの本当の理解が広がらない、人任せでは本当に必要な支援が得られない、仲間でいっしょに声をあげていくための当事者の集まりを始めよう、という機運が高まりました。

そして昨年2014年10月、日本認知症ワーキンググループが発足しました。
スコットランドで認知症の本人たちが声をあげ社会を変えているワーキンググループがある、という情報に勇気づけられ、日本でも動き出そうということになったのです。

メンバーはすべて認知症の本人です。全国各地から、趣旨に賛同してくれた本人がメンバーに加わっています。
代表も認知症の本人です。私ともう一人、鳥取県の藤田和子さん、この方は元看護師さんですが、いっしょに共同代表を務めています。

一人ひとりの声は小さくとも、認知症の本人が集まり、声を結集して行く中で、社会をよりよく変えていくための建設的な提案をしていきたい、認知症になっても希望と尊厳のある社会をつくる、というのがこの会の目的です。

あくまでも本人が主となって活動していけるよう、一緒に話しあいながら支援しようという人たちがパートナーとしてバックアップしてくれています。
たとえば家族や医師、看護師、介護職、行政職、メディア関係者、翻訳者、企業の人など、様々な人たちです。

会が発足してまだ1年少しですが、この1年間、めまぐるしく活動してきました。

ひとつは、発信し行動する姿を社会に示してきました。
国の会議や自治体、医療・介護・福祉関係者が開催する講演会や研修、学会、テレビ・ラジオ・新聞・雑誌等のメディアを通じて、メンバーが 認知症になって生きていく現実、前向きに暮らしていける可能性、必要な支援のあり方を積極的に発信してきました。

実名を公表し発言していくことは、勇気が必要であり、心身の消耗もとても大きいです。
わたしもこうして元気そうに話していますが、集中して話した後は疲れ切り、、ぐったりして数日は具合が悪いです。
かなりボロボロになりながらですが、それでも私やメンバーたちは、世の中を少しでも暮らしやすくするために、また立ち上がって話しに出かけています。
こうした活動を通じて、全国各地で本人の理解者や支援者が着実に増えています。何よりうれしいのは、わたしたちの姿を目にした本人や家族の多くが、「落ち込んでいたけど先が開けた」「いっしょに活動していきたい」と、前向きになってくれるていることです。

活動の2つ目は、国への提案とそのフォローです。
「声を発信するだけでは、理解や支援の広がりは限られる」、というのが私たちが活動してきたこれまでの中で痛感していることでした。

声を発信するだけで終わらずに、メンバーの意見をまとめて、昨年10月に、厚生労働大臣、12月には認知症担当官へ提案を提出しました。担当官の方々が、時間を延長して、私たちの声を真摯に聴いてくれました。

そして今年1月に発表された国の「新オレンジプラン」に、わたしたちの提案が盛り込まれまれたのです。
医療・介護等の連携や地域作りなどすべての取組みの基本として、「本人視点の重視」が明確に盛り込まれたのです。
今後の施策や取組みが形骸化しないよう、メンバーが、国や関係の委員会などに参加し、経過をフォローし、具体的な提案を継続的に発信しています。

活動の3番目は、本人がよりよく暮らすために役立つモノづくりです。
これまでも認知症に関する機器が開発されていますが、監視機器や行動を制限する機器など、わたしたちから見るとゾッとする恐ろしいモノで溢れています。

わたしたちは、認知症になっても本人自身がもっと自分の力を活かして、安全に生活を楽しむためのモノづくりを進めたいと思っています。
メンバーの具体的なアイディアをもとに、安心して外出を楽しめるためのヘルプカードや認知症の本人に役立つ情報をまとめたリーフレットなどの作成を始めています。
これらを作って社会に広げ、認知症になってもまだまだできることがある、社会の中で自分なりに暮らしていける可能性を広げていきたいと思います。

 この会は、まだまだ小さな会です。
 まだ発足間もないこの会に、今回「新しい医療のかたち」という貴重な賞を与えて下さったことは、私たちメンバーが進んでいくための大きな勇気となりました。
メンバー一同、心から感謝申し上げます。

 わたしたちメンバーは、決して特殊な認知症の人ではなく、普通に働き、普通に暮らしてきて、たまたま認知症になった一人一人です。
これからも、人として普通に暮らし、人生を楽しみたいです。

声をまだ出せるわたしたちが声をあげ、声をあげたくても上げられないで苦しんでいる人たちの代弁を、これからも続けていきたいです。

わたしたちの声に中には、もっと認知症が進行している人たちや、もっと高齢の人たちが本当は言いたいことも含まれていると思います。

 今日、ここで、皆さんがわたしの声に耳を澄ませてくださっているように、
ふだん皆さんの近くにいる認知症の人の声に、どうか耳を澄ましてください。

わたしたち抜きに、私たちのことを決めたり、進めないでください。

その人が少しでもよりよく暮らせるよう、一緒に考え、一緒に動いて下さい。
 
そうした人たちが増えてくれれば、認知症になっても、もっといい姿で、地域の中で堂々と暮らしてけるはずです。

わたしたち自身も、自分の声と力が続く限り、希望を失わず、発信と行動を続けて活きたいと思います。

一人一人の声を大切に、国内のどの地域であっても「認知症と共によりよく生きる」社会を一緒につくっていきましょう。
ご清聴、本当にありがとうございました。

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